| Home |
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告】 | top↑
我輩は・・・
我輩はなんちゃらーである

あの有名な書き出しで始まる物語
我輩は猫である
有名なんだけど読んだことがない、書き出ししか分からない

我輩は猫である 名前はまだない しかしらない

猫好きとして一度読んでみるべきとか思うときもあるんですけど
冷静になるとそんなの関係ないことに気づき読まない、読む気がおきない

まあ冒頭と最後に死んでしまうことだけは知っているのでそれだけでいろいろ考えてみることにします




この吾輩は猫であるの冒頭、タイトルは
吾輩  は 猫である
と自分は猫であると断言をしている
そこに迷いはなく誰がなんと言おうと自分は猫だと主張している
しかし現代社会ではどうだろうか
曖昧な返事ばかりして断言などあまりしてないのではないだろうか
みんながみんなそうではないが、曖昧な返事をする人が多いと思う
その中でこのタイトルはそれを拒むかのように
完璧に断言をしている。自分の迷いがまったくない

何故このようなタイトル、冒頭になったんだろうか
漱石にどのような意図があったのか
漱石の意図をいろいろと推測していくことにする

この我輩は猫であるは明治時代つまり
日本が開国して間もない時期に書かれたものである
ほかの国に対して遅れをとって日本がひとつになって追いつこうとがんばっていた時期
こういう状況下で大切なことは上に立つものの言うことを聞いて動くだけではない
「個々の主張」「個人の意見」
人は一人一人考えが違う、百人百色
その違う考えを主張しあうことで
一人では決してたどり着けない境地へ行くことができることもある
そのため漱石はこの主張の大切さを教えるために
吾輩は猫である
という言葉が出てきたのだと思う

しかしこの次に続く言葉
「名前はまだない」
ここで自分の名前を言ってればこれも断言となる
しかし名前がまだないと続く
これには迷い、躊躇などがあるのかもしれない
個人の主張が大切なことが分かっている
だがその主張により他の国と同化していくことそれが正しいことなのか
ほかにも道があるのではないかと迷っている

結局のところこの猫は最後死んでしまう
正しい答え、満足のできる答えがが見つけれなかったと自分は考えている

現代社会においては少し状況下が違うのだが
個人の主張が大事なことはいつの時代も同じである
自分を主張することに迷いが生まれることがあるのかもしれない
しかし、その迷いに打ち勝ち最善の答えを見つけること
この猫と同じ運命をたどらないことが現代社会において大切なことだと私は思う



最近思考能力の低下が激しいのでこんな文しかかけませんでした・・
スポンサーサイト

日常TB(0) | CM(0) | top↑
<<第676回「免許や資格、持ってますか?」 | Home | ちゃちゃちゃーちゃちゃ>>
comments
please comment














Only Admin
| Home |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。